コラム

COLUMN

心の呪縛

2022.09.05

院長コラム東京編

人のこころは、脆いものである。

生きていくためには、常に何かの支えが必要である。支えは、本能と言っても良いかもしれない。

母は強い、というが、「子供を守らなければ」という、本能が働くからであり、現実的に対象物である子供が存在するからである。

本能につながる現実がない場合、人の心が不安定であり、精神の安定を何らかの方法で測らなければならない。その一般的な手段は宗教あるいはそれに準ずる環境である。

例えば、従来の日本の家庭は、家父長をてっぺんとしたヒエラルキーが存在し、一つの小さな宗教組織のようなものであった。家父長の言葉は絶対で、構成員は、逆らうことはできなかった。

このような家庭という宗教制度は、今でも結構残っているし、この制度に憧れる日本人も存在するのである。

このような環境に身を置いていると、こころは呪縛状態に陥るが、それは同時に心と精神の安定をもたらすことになり、本人は居心地良いのである。

呪縛されたこころは一見安定感があるが、一方自由な発想や独創性を生み出すことはできない。むしろ、こころは脆いものであると考察し、その不安定さに身を任せることで、新しい事象を生み出すことができるのである。

これは、言い換えれば、ネガティブケイパビリティーという言葉で表現される思考様式なのである。

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