アーサーが死んだ
院長コラム東京編
2月ごろより慢性腎不全という診断で、薬を飲んだり点滴をしたりしていたのであるが、1週間ほど前より食事も水を受け付けなくなっていた。それでも前の土曜日には、朝の散歩の際、いつもなら近くでウロウロするだけのところ、グイグイとリードを引っ張り、名古屋大学のグラウンドへ行ったのである。歩くのも精一杯で、ボールを探す体力まではなかったけど、それでも自力で家まで帰ってきた。
そして昨夜の夜遅く庭に出て木の根元を両足で掘り、大きな穴を作って、寝床を作った。
もう一度西尾の家に作ったアーサーのためのガーデンに連れて行きたかったけれど、その体力はなくいけずじまいになった。
今日は朝、ベッドルームからやっとのことでリビングのある2階まで上がってきたが、精一杯であった。昼頃から下顎呼吸となっていたが、夕方になる少し前に息を引き取った。
まだ9歳10ヶ月である。せめて誕生日である10月まで生かしてやりたかった。
何もできなかったのが、口惜しい。
アーサーが我が家に来たのは、生後3ヶ月、まだポアロがいて、常にポアロの後をついて行動していた。ポアロというお兄さんがいたので、アーサーはいかにも弟のような性格を身につけた。ヤンチャであるが、1人では何もできない、優しい性格である。ルックスも完璧で、男前で足が長い。走る時は馬のように走った。奥さんにはすごく懐いて、「ママ、ママ」と、いつも言っていた。眠る時は、私にべったりで、ベッドの上で並んで、しかし向きを変えたり、下に降りたり繰り返して、熟睡するのが毎日であった。朝方になるとどういうわけか私の腕枕ですやすや眠っており、私が「アーサー起きるよ」と言うと、ガバツと起きるのであった。
ご飯はなんでもよく食べた。特にヒレ肉は大好きで、一口に飲み込むようであった。バケットも美味しそうに、パリパリ音を立てて食べた.。野菜は苦手な方であったが、ブロッコリーやキャベツは芯の硬いところを好んで食べた。
散歩はいつも同じ決められたコースをいくのであるが、町内から少し離れた山花町や伊勝町まで足を伸ばし、散歩した。南山の真言院を通って名古屋大学のなかにはいったり、周辺を探索したり1時間以上いくのである。最も昼の散歩でもっともすきなのは、テニスコートから野球場を抜けて硬式野球のボールの皮をはぐ時で、熱心にやっていた。最後は水をテニスコートの際で飲み、家まで帰るのである。
夏になると時折庭に出て、壁沿いに大きな穴を掘る。これはポアロの頃からやっていた習性で、名古屋にも西尾にも穴がたくさん掘られている。
西尾ができる前は、八ヶ岳や安曇野、蓼科にしょっちゅう連れて行った。決まったコテージに泊まり決まった散歩コースを歩く。ロープーウエイにもよく乗った。京都にも行って、大徳寺界隈を散歩した。思い出は多過ぎて何が何だかわからないが、辛い思い出はひとつもない。楽しい思い出ばかりである。今は喪失感が強過ぎて、涙ばかりが溢れてくる。愛犬が死ぬたびに繰り返すが、歳をとるに連れて、取り返しがつかない思いが強くなるのである。
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